講談師の宝井琴梅(きんばい)さんは7月8日、「塙保己一(はなわほきいち)を講談で聞く会」メンバーと共に吉田信解本庄市長を表敬訪問した。
屋外で講談をする「辻講釈を楽しむ会」を37年前に開いた宝井琴梅さんは1975(昭和50)年に真打ちに昇進した。妻は女性初の真打ち講談師、宝井琴桜(きんおう)さん。
連馨寺(れんけいじ)で呑龍上人(どんりゅうしょうにん)の縁日が行われる毎月8日に行う「辻講釈」で、埼玉三大偉人の一人といわれている塙保己一をテーマにした講談を披露するということで同会メンバー8人が鑑賞。題目は「塙保己一と領土問題~小笠原諸島の我が国帰属由来~」。原作は堺正一さん。
「広報ほんじょう」(2016年11月1日号)によると、「1861年、アメリカ、イギリス、ロシアなどとの間に小笠原諸島の帰属問題が持ち上がったとき、幕府が、和学講談所の後継者である保己一の息子・塙次郎に小笠原諸島に関する質問状を送った。塙次郎は、保己一が設立した和学講談所に収蔵された資料を詳しく調べ、小笠原諸島が日本の領土であることを証明する歴史資料を即座に提供した。その迅速な対応により、小笠原諸島が日本の領土であることが国際的に認められた」という。「日本初の国学専門の教育・研究機関である和学講談所があったからと言っても過言でない」と締めくくっている。
塙保己一は同市児玉町保木野生まれ。7歳で失明し、15歳で江戸に旅立った。34歳で「群書類従」の出版を決意し、和学講談所の建設に尽力。「群書類従」は、日本の古代から江戸時代初期に至るまでの古書を集大成した双書だが、塙保己一は1819年、41年の歳月をかけ後世の研究者のために666冊の「群書類従」を完成させた。言葉、視力、聴力を失った三重苦のヘレンケラーが師と慕う。2015(平成27)年12月に立ち上がった「塙保己一物語劇化実行委員会」では3回にわたり地域住民による群読劇「塙保己一物語」を上演。
旧本庄商業銀行レンガ倉庫(本庄市銀座1)を見学後、吉田市長を訪問した宝井琴梅さんは「保己一先生は幼いころ、江戸で『太平記読み』になりたいと念願されたそうで、考えてみれば太平記読みは講談師の源流。深いご縁を感じる」と話す。
吉田市長は「塙保己一先生を題材にした講談で本庄市を盛り上げたいという皆様の熱い思いが、琴梅先生という重鎮のご協力をいただけることになり、誠におめでとうございます。そして有難うございます」(原文ママ)とフェイスブックに投稿した。