
神川町立渡瀬(わたるせ)小学校(神川町渡瀬)の体育館と校庭で3月7日、300人を超える関係者が出席して閉校式が開かれた。同校は3月31日で150年余りの歴史に幕を閉じる。
1874(明治7)年8月20日、渡瀬村(当時)の龍宝寺内に「渡瀬学校」を創立した。児童数は、男子=52人、女子=25人だったという。1989(明治22)年4月1日に渡瀬村を含む3村が合併して「若泉村」が誕生した後、1949(昭和24)年12月1日、若泉村が南北に分かれ、北部は「渡瀬村」に。同時に同校は渡瀬村立渡瀬小学校に。1957(昭和32)年5月3日に神川村(当時)との編入合併に合わせて神川村立渡瀬小学校に、同村が町制施行し「神川町」が誕生した1987(昭和62)年10月1日、神川町立渡瀬小学校になった。2023年11月1日、渡瀬小学校創立150周年記念式典を開いている。
式典の1部では、開式の言葉、国歌斉唱に続き、主催者を代表して同町教育委員会の福嶋慶治教育長が「おととし創立150周年記念式典を執り行った。(開校以来)大勢の地域住民、保護者、歴代校長をはじめとする教職員の力添えで優秀な児童をたくさん輩出してきた。生糸貿易で財を築いた原善三郎を輩出した土地でもある。子どもたちは4月から青柳小学校で大勢の友達の中で触発され、たくましく成長してほしい」などとあいさつした。
同小の前田芳江校長は「開校以来、英知と汗、総力を結集し築き上げてきた渡瀬小学校。閉校となっても、心の中には渡瀬小学校は永遠に生き続け、その良さと歴史は語り継がれていくと信じている」などと話し、同町の桜沢晃町長は「地域の皆さまに愛され親しまれてきた歴史ある渡瀬小学校は少子化の影響により幕を閉じることになった。(私も渡瀬小学校で6年間学び育ったので)何事にも代えがたい辛さと寂しさがある。ここで育まれた誇りや精神、優しさは青柳小学校にも引き継がれていくでしょう。統合後も、多くの友達と関わり、多様な考え方に触れ、認め合い、協力し合い、切磋琢磨(せっさたくま)を通じて、一人一人の資質や能力を伸ばしていけるよう、行政としても全力で取り組んでいく」と話した。
児童代表の小6女児は「4月から新しい環境で学習することになる。私は、渡瀬小学校で地域の温かさを学んだ。私は4月から神川中学校に進むが、渡瀬小学校で学んだことを生かしていきたい。そして渡瀬地域の良さをみんなに伝えていきたい。今日は、今までお世話になった渡瀬小学校に感謝の気持ちを伝える会」などと話した。前田校長が桜沢町長に校旗を返納し、児童らは大声で校歌を斉唱した。
式典の2部では「惜別の会」と称して、児童代表によるあいさつの後、児童らが演奏。同小を卒業した上野理沙さんと加藤恵子さん姉妹から成る「今城ソレッレ」が「おもちゃの兵隊マーチ」などを連弾したり、同小愛唱歌を児童らと一緒に歌ったりした。ソプラノ歌手である姉の上野さんが「アヴェ・マリア」「春の声」を披露した。
式典の3部は校庭での閉校記念碑除幕式。同校PTA会長がお礼の言葉として、「築き上げた150年に及ぶ歴史を形として残すために記念碑を建立し、除幕式を迎える運びなった。はるか後世の子どもたちまで、この石碑に刻まれた歴史と敬意と感謝の思いが語り継がれ、健やかな成長の糧となることを念願する」などと話した後、代表児童らも参加して記念碑序幕。校舎をバックにして記念撮影も行った。
2025年3月の同校の児童数は34人。同小は3月31日に閉校し、4月1日、同町立青柳小学校と統合される。