今回は上田清司 前埼玉県知事に、埼玉三偉人の一人、塙保己一先生や本庄遷都論、陸船車について語っていただきました。
塙保己一学園への想い
川越市と本庄市の接点といえば、埼玉県立特別支援学校 塙保己一学園である。まずは塙保己一学園について語っていただいた。
川越市に構える埼玉県立特別支援学校「塙保己一学園」(県立盲学校)は、視覚に障害のある幼児・児董・生徒のための学校で、点字や拡大文字などを使って、それぞれ幼稚園・小学校・中学校・高等学校段階の教育を行なってる。
1908(明治41)年2月川越に慈善学校として設立し、1916(大正5)年、埼玉盲学校として県立学校となる。時代を経て、2009(平成21)年、埼玉県立特別支援学校塙保己一学園と改称。
楠本:上田さんが知事の時に改称されたんですね。
上田:当時、渋沢栄一が埼玉の偉人として表に出ていたんです。しかし、塙保己一や女医の荻野吟子も素晴らしい埼玉の偉人であります。あのヘレン・ケラーが最も、尊敬する偉人として塙保己一の名をあげているんです。そこで、塙保己一の名を学園の名前に使うことで、志高く皆が学べる学校になってもらえるだろうという思いを込めて改称いたしました。
塙保己一は、延享3年(1746)に児玉郡保木野村(現本庄市)に生まれ、7歳の頃視力を失った。目が見えないため、読んでもらった本や文献を直ちに覚えてしまうという素晴らしい記憶力を持っていたという。保己一は、1819(文政2)年74歳で全666巻の「群書類従」を出版した。版木は残されており、約1万7千枚を越える。「群書類従」では、日本の歴史的文献が集約され、整理さた。これによって、文化の消滅を防ぎ、文化を広める基礎ができたそうだ。
上田:小笠原諸島の帰属問題のときにも、塙保己一の文献が役立ったんですよ。
1876(明治9)年、小笠原諸島の帰属問題がアメリカ、イギリス、ロシアなどとの間に持ち上がった際にも、息子である塙次郎が幕府の求めに応じて日本の領土であることを証明するこの資料を提供したことにより、小笠原諸島が日本の領土であることが国際的に認めらた。明治政府が女医荻野吟子を認める際にも、この文献が証明となったそうだ。
楠本:そんな歴史があったんですね。
現在埼玉県には、障害がありながらも社会的な活躍をしている方、障害のある方に対する支援等に貢献している方・団体を表彰する「塙保己一賞」という賞がある。
楠本:塙保己一賞というのも、上田知事の頃にられたんですね。
上田:障害があっても活躍される方々、それを応援される方々を讃えようと、浦和や大宮ではなく、塙保己一の生まれた本庄市で毎年行われています。
塙保己一賞は、今年で15回目。「大賞」「奨励賞」「貢献賞」があり、障害のある方、支援する方など各部門で表彰される。障害を持ちながらも文芸に功績を残されている方、弁護士として活躍されている方、目や耳に障害を持つ方のためにスマホ機器などに工夫を加え、それを企業と一緒に製品化した方、など様々な分野で表彰されている。
本庄遷都論と繰り返す災害
本庄遷都論とは、1878(明治11)年に持ち上がった首都東京を攻撃や災害のリスクの少ない本庄市へ移す議論。日本赤十字の創立者の佐野常民氏によってまとめられた意見書である。
楠本:以前、本庄遷都論のお話を伺った時、大いに感動したことを覚えています。
上田:実は2度めの遷都論も出ているんです。それは関東大震災で東京が壊滅した時です。その時、地盤の強い本庄に遷都する案が再び上がったのです。埼玉県はもともと自然災害が少ない地域ですが、その中でも本庄は災害に強い地域でもあるんです。
中山道で最大規模の宿と呼ばれた「本庄宿」。東京へのアクセスも良く、災害に強い内陸の本庄は、長い歴史の中で何度も遷都の案が出ているという。
楠本:災害というと東日本大震災が大きな災害でしたが、上田さんはどう感じられましたか。
上田:驚くことに埼玉県は、震災の年の3月9日に県内の耐震改修が終了したところでした。震災の2日前です。今後、大きな災害が起こったときの災害対策の拠点になる防災センターも完成し、翌週にはセレモニーも予定されていました。その直後、3月11日の東日本大震災には即対応し、埼玉県での被害を最小限に抑えることができました。支援体制も出来ており、原発事故により被災した双葉町の被災者の皆さまには、さいたまスーパーアリーナへ避難していただくことができました。その後は加須市の騎西高校を避難場所として提供し、避難生活の場として使ってきただきました。
楠本:そういう経緯があったんですね。
上田:騎西高校では床が寒いと思い、畳1000枚を必死に用意しました。ボランティアの皆様の力を借りて畳を敷いたことが、実は一番喜ばれたんです。床が冷たくて夜は眠れないので、昼間の暖かい時間に寝てた方もいたんですね。福島県の皆様にはとても感謝していただいており、現在でも地域交流があります。
楠本:当時そんな事があったんですね。色々な思いが蘇ります。
日本最古の自転車「陸船車」
本庄市は、自転車の発祥地。かつて武州北堀村(現在の本庄市北堀)の門弥という人物が「陸船車(りくせんしゃ)」という自転車の原型となる乗り物を作ったという歴史がある。
楠本:埼玉県でもたくさんの人が自転車に乗りますが、上田前知事は自転車まつわる思い出などはありますか?
上田:埼玉県にはサイクリングロードというものがありますが、河川敷を走るサイクリングロードは日本一です。都内からもたくさんの方がサイクリングに来られます。埼玉県の誇れる場所の一つですね。
私自身としては、自転車で日本一周したいという思いをずっと抱いています。妻と一緒に知事公舎から葛西臨海公園までサイクリングしたこともあります。行きはスイスイ2時間ほどで着いたのですが、帰りは風が強くて4時間ほどかかりました(笑)
楠本:それは、すごいですね!
上田:人間とは、追い風には感謝を忘れ、向かい風には辛く感じる。これは全てに通じることだと気づきましたね。日頃から背中を押してくれている方に感謝を忘れてはいけないな、と感じました。
楠本:素晴らしい気付きですね。今回は大変内容の濃いインタビューとなりました。上田前知事、ありがとうございました。
本庄市の歴史にも詳しい上田前知事。埼玉県への熱い想いが伝わってくるインタビューだった。
~上田清司プロフィール~
昭和23年 福岡県生まれ
法政大学法学部卒。早稲田大学大学院政治学研究科修了。
1993年7月19日~2003年8月13日 衆議院議員(3期)
2003 年8月31日~2019年8月30日 埼玉県知事(第57代~第60代)
2019年10月29日~ 参議院議員