
「はなまつりin流鏑馬(やぶさめ)祭」が5月18日、寿光寺(神川町下阿久原)で開かれ、地元の児童4人が「こども流鏑馬(やぶさめ)」に挑戦した。
「はなまつりin流鏑馬祭」が開かれた寿光寺(神川町下阿久原)の境内
同寺は真言宗豊山派の寺院で、1262年の開山といわれている。本尊は金剛界大日如来。2012(平成24)年から祖父を継いで住職を務める中山宥義(ゆうぎ)さんは「お釈迦(しゃか)様の誕生日(旧暦=4月8日、2025年新暦=5月5日)を祝う『花祭り』を10年以上前から開いている」と話し、同町在住の新井太一さんは「4年前に地元児童らによる流鏑馬を『神泉流鏑馬』として始めた。今年で5回目になる。昨年から寿光寺の花祭りに合わせて行っている」と話す。
同寺のある阿久原の地は、平安時代から「阿久原牧(あぐはらのまき)」と称されていた。同地域は東に御嶽山(みたけやま)、南に横隈山(よこがいさん)などの山々に囲まれ、西から北にかけて神流(かんな)川の流れに包まれていて北向きのなだらかな坂になっている土地。水が涌き出て馬の飼料となる牧草もよく育ち、神流川の河原に出れば馬に水をやるにも体を洗うにも大変便利な場所だったという。
平安時代に記された「政事要略」という文献に、933年に秩父郡石田牧と児玉郡阿久原牧を朝廷に馬を献上する勅使牧にしたという記事がある。徳川(水戸)光國ら総勢7人が、当時、牧を管理していた武蔵七党の一つである児玉党という武士団の旧跡を訪ねた時に詠んだ歌「阿久原の牧の稲荷に鈴かけていななく駒にいさむ武士」が同地域の石碑に刻まれている。阿久原牧は1961(昭和36)年に埼玉県指定旧跡に指定された。
新井さんは「今、『かんな馬の会』が馬のにぎやかさを取り戻してくれている。寿光寺の東の坂道は、かつて『のっきり馬場』と呼ばれていた。平安時代から、坂で馬を走らせ、強い馬、より速い馬を育て、京の都・朱雀院に献上した。江戸時代には、のっきり馬場で馬を走らせ、娯楽として楽しんだという記録もある。今でいう競馬」と話した。「ここは馬に親しみのある地域。『こども流鏑馬』で子どもたちの無病息災、心願成就とともに、地域繁栄、争いのない平和なまちづくりを願い、にぎわいを取り戻したい」と話す。
当日は、同町立神泉小の4人の児童が交代で馬に乗り、同寺の山門を出て、ヤマキ醸造、神泉小の校庭を通り、同寺に戻ってくる児子行列中に、特設の的を目がけて、新井さんの「放て」のかけ声に合わせ弓矢を3本ずつ放った。小4児童の若山一郎君は「流鏑馬は初めて。たくさん練習した。上手くできた良かった」と振り返る。