新井自治会は、本庄市の北西に位置し北は利根川に接し、東側には旧旭地区の役場がありました。都島地区に面しており、南側は杉山地区に、そして西側は新井と元々一緒の地域であった三友地区に接している平坦な地域であります。
元々は養蚕が盛んな地域でありましたが、近年は利根川沿いに工業団地が出来、以前の風景とは大分違ってまいりました。
そして、以前から新井自治会のほぼ中央にあリました、稲荷神社とそこに隣接した自治会館を中心に自治会活動しているものです。
新型コロナ発生以前は、お盆の頃の夏祭り等々、色々な催しを行っておりましたが、新型コロナが5類に移行してからも夏祭り等の行事は行っておりません。
以前、行事の中心で活動して頂いた 自治会、老人会、子ども会等の人数が中々集まり辛い状況が続いており、少子高齢化が進んでいるため急速な人口減少が続いており、自治会活動にも影響が出ているものです。近い将来には 自治会の合併問題も検討すべきと思います。
稲荷神社の紹介をしたいと思います。新井は当初上野國(現、群馬県)に所属していましたが、寛永2年(1625年)の利根川大洪水後の烏川の流路変更により武蔵国に所属が変わったものです。其の為旧家には上野國との関わりの深い家が多く、氏子の中でも最も多い境野姓の本家も上野國芝根村(現群馬県佐波郡玉村町芝根)からこの地に来たと言われています。
当神社は新井のほぼ中央に鎮座しており、古くから村の鎮守として信仰されてきた社であります。
清淵寺の紹介をしたいと思います。真言宗豊山派清淵寺。昔、新井の村は利根川の河岸近くにあったものですが、江戸時代中期の寛保2年(1742年)8月、大洪水は水丈が3m余りにも及び、住宅37戸を流出する被害にあった。そこで当時、四坊「いろはに」の寺があったのを合坊して安全な新井川(現在は御陣場川)の淵に移して清淵寺と名付けられました。その後、幕末になって安政7年(1860年)、当時の住職 融海は度々に洪水で欠損散逸した資料を補修整理しました。
明治12年9月、凶盗の襲うところと成り、放火されて本堂、十王院、観音堂など全て焼失したが、翌13年4月に新築した。現在の寺は昭和49年に本堂と鐘楼共に改築したものです。
また、新井自治会の南北に走っている市道の歩道の雑草が生い茂っていて見通しいが悪かった箇所を、近くに住む人達のボランティアによってきれいに掃除されたものです。
今後も皆で自治会内をきれいに保ちたいと思います。
新井自治会長 古澤 武